第13回 夏のワークショップ 開催報告


「神経回路網の動的組織化 –研究の最前線–」
 "Dynamic organization of neural networks -Frontline researches-"

第13回夏のワークショップは、神経回路網の動的組織化-研究の最前線―をテーマに、海外から、システム、回路、理論の各分野にわたる第一線の研究者を3名お招きして開催しました。
ワークショップは7月26日、午前9時から始まりました。トップを切ってお話をいただいたUniversity College LondonのJohn O’Keefe先生は1971年にラットの海馬で場所細胞(place cell)を発見された「伝説的な」研究者でいらっしゃいます。会場も9時を過ぎるころには満員で座れないほどの活況で、皆さんの期待の高さが伺えました。 そのお話は場所細胞の発見から40年間の様々な発見と、バーチャルリアリティを使った最新のデータで彩られた絢爛豪華なものでした。海馬とその周辺領域には、場所細胞の他に、進行方向を示す「頭の方向細胞」、平面を覆い尽くす三角形の格子の頂点で活動する格子細胞(grid cells)と境界からの距離を表す境界ベクトル細胞などがあります。一見すると複雑ですが、方向細胞を起点として格子細胞から場所細胞へという経路と、方向細胞から境界ベクトル細胞を経て場所細胞へという2つの経路で場所細胞の計算が進むのだろうという明快なご説明でした。そして、3角形の格子の頂点で繰り返し活動を示す格子細胞の活動はどうやってできるのか、という問いが設定されました。その答えは、少しだけ異なる周波数のシータリズムの活動が同じ細胞に収束して生じる「うなり」の重ね合わせで説明できるという画期的なものでした。周期的な信号の重ね合わせから、位置を発火頻度で表現する細胞が作れるということに大きな驚きがありました。 2人目に登壇したのはスイスのFriedrich Miesher InstituteからいらっしゃったRainer Friedrich先生です。Friedrich先生はzebrafishの嗅覚系で、2光子励起顕微鏡やoptogeneticsの最新の手法を駆使して、匂いが神経集団の活動で「動的」に表現されている様子を次々と明らかにされています。たとえば、嗅球の多細胞の多次元の活動は、刺激に用いた匂い物質の違いに応じて数百ミリ秒以内に異なる定常状態に収束します。また、2つの物質を異なる割合で混ぜて、匂いの「モーフィング」を行うと、2つの物質の定常状態の間を徐々に遷移するのではなくて、あるところで「突然」ジャンプします。嗅球は匂いの要素を分類して表現する「フィルター」の役割をしているのです。また、嗅球では匂い物質を受容してすぐに始まる活動は、匂い物質の局所的な分子構造に対応した同期活動であるのに対し、数百ミリ秒後の匂いの元が「何であるのか」という対象に応じた活動は非同期になっているそうです。Optogenesisの手法で嗅球の局所の細胞群を強制的に同期発火させても、嗅皮質のDpという領域には同期した活動は伝わりません。匂いの元がなんであるのか、という対象の情報だけを嗅球から上位の嗅皮質に伝えているらしいのです。  最後に登壇されたHoward Hughes Medical InstituteのDmitiri Chklovskii先生のお話も、また刺激的でした。ハエの網膜から動き検出に至る神経回路を連続切片の電子顕微鏡増に基づいて綿密に再構成するというconnectomeのお仕事にまず驚かされました。後半は、感覚系は信号を圧縮して伝送することで、神経細胞の発火頻度ではカバーできない巨大なダイナミックレンジを実現しているはずだ、という問題提起で始まりました。信号圧縮メカニズムとして注目したのが音声圧縮の分野でItakuraとSaitoが1971年に提案した格子型フィルターです。これは予測される信号と実際の信号の差分だけを抽出する機能を持ったフィルターで、現在の信号と時間遅れ系を通った過去の信号の差分を取る前向き推定のラインと、その逆の後ろ向き推定のラインをたすき掛けで組み合わせるという単純な構造で実現されています。実際、外側膝状体のニューロンには2つのラインに相当する性質をもったものが報告されていて、感覚系では予測との差分を取るという予測符号化(predictive coding)が実現されているらしいのです。  総合討論では動的組織化に振動と予測符号化が果たす役割について議論しました。フロアからの質問はコネクトームが神経系の情報処理の基本原理解明にどのように資するかという議論に発展しました。神経回路の構造の解明は理論に制約とヒントを与えますが、理論の構築に直結するものではありません。Connectomeから格子フィルターの時間の重みづけ係数が決まるわけではない、というChklovskii先生のお答えが印象的でした。私はかつて小脳の基本回路構造に触発されてMarr-Albus-Itoの小脳学習理論が生まれ、その後の小脳の実験研究を現在に至るまで方向づけたことを思い出しました。このワークショップが、理論研究と実験研究の間に全く新しい展開を生む一つのきっかけになれば本望です。フロアから活発に議論に参加してくれた若い研究者の皆さんの活躍に大いに期待しています。



左から時計回りにO’Keefe先生、Chklovski先生、Friedrich先生、中央:総合討論、
下:熱気にあふれる会場

©2012 Mechanism of Brain and Mind

The 13th Winter Workshop
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